弥十郎の築堤工事―古文書に記された「高輪築堤」⑦
高輪築堤の工事に携わった、土木請負人・平野弥十郎の記録を中心にみる当時の状況、今回は弥十郎の築堤工事との関わり、そして鉄道の開業を迎えます。出典は特記なき限り、桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維 続く
佐藤大介による東北の古文書・地域史・郷土史の電子情報館です
高輪築堤の工事に携わった、土木請負人・平野弥十郎の記録を中心にみる当時の状況、今回は弥十郎の築堤工事との関わり、そして鉄道の開業を迎えます。出典は特記なき限り、桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維 続く
「高輪築堤」の工事に関わった平野弥十郎の記録の紹介、今回は明治4年(1871)。いよいよ高輪での築堤が始まったようです。弥十郎の活動についての転居は、特記なき限り桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維 続く
高輪築堤の建設に関わった、平野弥十郎日記の紹介、今回は明治3年(1870)から4年です。出典は特別な注記のない限り、桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』(北海道大学出版会 2001年)です。 続く
高輪築堤の工事を請け負った平野弥十郎が残した日記、明治3年(1870)の続きです。いよいよ高輪の海上築堤の話題に移っていきます。出典は注記のない限り、桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』( 続く
仙台藩邸が新橋駅の敷地になる「高輪築堤」の建設に関わった平野弥十郎の記録、明治3年(1870)の記事の要約メモです。桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』(北海道大学出版会 2001年)です 続く