福島県川俣町・高橋家住宅での古文書調査

「高橋兼助旅日記」の原本を調査
5月30日、福島県川俣町の、高橋家住宅に古文書の撮影調査に出かけました。以前に、伊勢参りの途中に立ち寄った東京で、「高輪を走る列車」を記録した、川俣町の絹商人・高橋兼助の旅日記の原本を撮影させていただくことが出来ました。

今回の調査は、かつての高橋家の商いを営んでいた、江戸時代終わりに建てられた建物で、同家の保存会が取り組む、月に一度の一般公開に合わせたものでした。正確には、こちらから同家のメールでのお願いが、ちょうど5月29・30日の公開日に間に合うタイミングだったということです。保存会会長の村上杪さんからご快諾いただき、思いがけず早い機会に、高橋兼助旅日記の原本を直接見ることが出来ました。記して御礼申し上げます。該当部分の原本記事は、また改めて紹介することにします。

古い建物を受け継ぐ取り組み
高橋家のかつての店舗・居宅は、嘉永4年(1851)に高橋家が取得し、安政元年(1854)に増築されたものです。高橋家3代目当主の孫に当たる高橋歌子さんが2017年に逝去された後は、地域の人々が集う場に、という歌子さんの遺志を受け継ぎ、村上さんや保存会の皆さんで活用・継承に取り組まれています。

福島県川俣町・高橋家住宅の外観(2021年5月30日撮影)

今回は、5月23日に「福島民友」で紹介されたこともあって、多くの方が来訪されているとのことです。私の撮影中にも、地元の方が、居宅や展示されているものを見て、地元にいても知らないことがあると、感心していたのが耳に入ってきました。

古い建物の維持には、様々な苦労がともないます。日常的な技術としては廃れてしまった日本の伝統的建造物の建設や維持管理には、少なからぬ費用が必要になってしまう場合が多いようです。国の指定文化財であっても、修繕費には必ず自己負担が生じます。高橋家の場合はまだ指定されていませんので、約160年前の建物であっても、その維持管理は所有者の自己責任、ということになります。仕事柄、古文書の調査に出かけると、そこが江戸時代以来の邸宅であることもあり、所有者のご苦労を直接見聞する機会も多いです。

村上さん、さらには保存会というかたちで複数の人が関わって、行事の実施や、高橋家も含めた蔵の町マップの作成といった取り組みをされていることに、敬意を表したいと思います。

建物や歴史文化を通じたつながりを
川俣町の隣の福島市出身である私ですが、「絹の町」として栄えた川俣町の中心部を訪問したのは今回が初めてです。朝の連続テレビ小説のモデルとなった作曲家・古関裕而は、高橋家の向かいにあった川俣銀行に勤務していました。
 建物や古関裕而の逸話、絹の町の歴史を通じた人々のつながりが、更に広がっていくことを期待しています。

参考 【建物語】高橋家住宅・川俣町 時代読みしなやかに 「福島民友新聞 みんゆうnet」2021年5月23日(31日閲覧)

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