東京に集まる全国の石材―古文書に記された「高輪築堤」⑤

 前回、弥十郎が、高輪築堤や八ツ山橋の橋台など、鉄道建設のために用いる石材を、相州真鶴(神奈川県真鶴町)から直接調達するほかに、東京・深川からも調達を図っていたことを記しました。

「東京諸問屋沿革誌」にみる石の産地
 「東京諸問屋沿革誌」の「石問屋」の項目には、深川も含めて東京の石問屋が入荷していた石の産地と用途が建築用と庭石の二つに大別されて記されています。石の主な用途は建築、石碑、さらには挽き臼・石の炉・七輪・井戸の輪、鳥居・灯篭・手水鉢・踏段が挙げられ、土木だけでなく台所用品に用いられていました。
 原本の誤記によるものか、産地の現在地が特定できないものもありますが、弥十郎が調達しようとしてた相州六ヶ村の「小松石」や、著名な御影石など、現在でも石の産地として知られる場所が含まれます。いずれも海や河川での舟運を利用しやすい場所でした。
 これらの石は海上を運ばれたのち、品川に接岸、その後ははしけ船で、深川や、その対岸にある日本橋や霊岸島の石問屋に運ばれました。

歌川広重「東都名所 永代橋深川新地」(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1303508)天保2年(1831)頃の永代橋を描いたもので、左奥に「深川新地」の街並みが描かれている。

1,建築材
 (1)花崗岩(御影石) 
  ①本御影石と唱えて上等品
    摂州亀原郡石屋村・住吉村(兵庫県神戸市)、足谷村(兵庫県芦屋市) 
  ②これにつぐ
    泉州白根郡淡路(白根郡は日根郡の誤りか。淡路は不明)
  ③第二等
    三州額田郡稲能村 
    加茂郡西山・室山 
    *いわゆる「幡豆石」のことか、現在地を比定できず。
  ④第三等
    「豆州下田口」と称する本郷村・下田町(静岡県下田市)
  ⑤その他
    勢州桑名(三重県桑名市)、豊前犬島(「備前犬島」の誤りか?岡山県岡山市)    備後尾道(広島県尾道市)、備中早島(岡山県倉敷市)
    芸州広島(広島県広島市)讃州手島(香川県丸亀市・手島)
 (2)小松石
  ①本小松
   ・相州足柄下郡岩村・吉浜村(神奈川県湯河原市)
  ②新小松 本小松に次ぐ
   ・相州岩村・真鶴村(神奈川県真鶴町)
 (3)青堅石
   ・豆州加茂郡蓮台寺村・大沢村・恵比須崎(静岡県下田市)
   ・若浦(下田市の和歌浦?)・(がんだれ)島など
 (4)堅石 
  ①上等品
   ・豆州加茂郡下流(したる)長津呂(ながつろ)(静岡県南伊豆町)
   ・相州足柄下郡江ノ浦(神奈川県小田原市)
  ②その他 各村
 (5)岩岐(かんき)石・玄蕃石・間地石
   相州足柄下郡、豆州加茂郡の各村
 (6)切石
   勢州桑名より多く産する
 (7)寒水石・斑石
   常州久慈郡真弓村・町家(町屋)村(茨城県常陸太田市)
 (8)戸倉・白石・釜石
   「豆州下田口」と称する本郷村・下田村
 (9)更紗石
   豆州加茂郡熱海(神奈川県熱海市)
 (10)保田石
   指田・立岩・石部(静岡県松崎町?)
 (11)白砥石
   宇久須(静岡県西伊豆町)

2、庭石
 (1)片キ石(へき石)
  ①第一等 相州足柄下郡根府川(神奈川県小田原市)
  ②これに次ぐ 米神村(同上)
 (2)青片石
  陸前牡鹿郡湊村石ノ巻(宮城県石巻市)
 (3)山ぼく石、磯ぼく石 *「ぼく」は石偏に「ト」
  豆州加茂郡川名八幡野(川奈村・八幡野村/静岡県伊東市)
 (4)五郎太石
  泉州白根(日根)・淡路
 (5)丸石
  相州・豆州の各地
 (6)紫石
  「摂州大阪口」と唱え、加茂川より産する

 
「石巻の青片石」―井内石
 庭石のところに「牡鹿郡湊村石ノ巻」とあります。これは、現在の石巻市稲井を産地とする、地元では「井内石」として知られる粘板岩です。石碑や庭石だけではなく、神社仏閣の石段など建材としても用いられていました。東京駅その他赤煉瓦建築のスレート屋根に用いられる「雄勝石」も同系統の石となります。
 井内石はいつから江戸に送られるようになったのか、鉄道が開業した後に全国的に普及した、という調査もあります(稲井町1960、高橋・赤司 2014)。しかし東京の石問屋の沿革からは、それ以前の明治初めには、庭石として一定の入荷があったことがうかがえます。さらに遡れるのかどうか、裏付けとなる古文書の掘り起こしなど、もう少し調査してみる必要がありそうです。

高輪築堤に用いられた石は―十分な調査時間を求めます
 高輪の築堤には、どのような石が使われているのでしょうか。弥十郎の記録にある相州六ヶ村の(小松石)はもちろんですが、ここからだけで、大量の石材を短期間で確保できたのかどうか。場合によっては、他の産地の石材が使われている可能性もあるでしょう。宮城の石は含まれているのかどうか・・・。より詳細な記録があれば確実ですが、出土した石垣などのに用いられている石材自体の調査も有力な手がかりになると思われます。

それには、十分な調査の時間が確保されることが不可欠です。所有者であるJR東日本に、そのことを強く求めたいと思います。

(参考)
『稲井町史』(宮城県稲井町 1960年)
高橋直樹, 赤司卓也「東日本を席巻した宮城県石巻産石碑石材「井内石」の地質学・岩石学的特徴と利用状況」(2014年日本地質学会学術大会講演要旨 https://doi.org/10.14863/geosocabst.2014.0_378 )

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