古文書に記されたセミ(1)

今年のセミの声
セミの声は夏の訪れを告げる象徴の一つです。今年の仙台の梅雨は「仙台の梅雨らしい」という表現が適切なのかはともかく、低温がちです。そんな中で、道を歩くと、ちらほらセミの抜け殻が転がっているのを見つけます。しかし、日中にセミの声を聞くことはまだ少ない、と書きはじめたところ、部屋の外からミンミンゼミの声が聞こえてきました。

別所万右衛門記録に記されたセミ
 仙台藩士・別所万右衛門の記録には、天保4年(1833)から10年(1841)にかけて、いつからセミ(蝉)が鳴き始めたのかを知る手がかりとなる記事が見られます。万右衛門の記録に登場するセミについては以下の通りです。

 「麦刈蝉」 ニイニイゼミ。麦を刈る時期に鳴き始めることからの異称。
 「ちいち蝉」 チッチゼミ。
 「日暮蝉」 ヒグラシ
 「青蝉」  不詳。青緑色の体色であるミンミンゼミのことか。
 「三日蝉」 不詳。

現代の鳴き始め
 仙台管区気象台が公表している生物季節観測の中に、平年(1991年~2010年)および今年のセミの初鳴きの日がありました。万右衛門の記録で種類が確定出来るセミについて見ると、以下のようになっています。
 ・ニイニイゼミ 平年 7月13日/2020年 6月28日
 ・ヒグラシ   平年 7月15日/2020年 7月11日
 ・ミンミンゼミ 平年 8月1日/2020年 7月22日

西暦と和暦―古文書を読み解く際の注意 
 以上を手がかりに、万右衛門の記録に見られる鳴き始めの日を見てみます。その前に、大事なこと。江戸時代、正確には明治5年(1872)12月5日以前の古文書の日付は、すべて旧暦(和暦)です。江戸時代以前を扱った論文や書物のほとんどは、史料の元の日付をそのまま引用しています。現代と比較する際には、西暦に直す必要があるのです。ここでは(野島1986)に基づいて変換した西暦の日付を( )内に記します。

天保年間のセミの鳴き始め
 冷害となった天保4年は「麦刈蝉」、「青蝉」が6月8日から11日(1833年7月24日~27日)の間、大冷害となった天保7年は6月5日(1836年7月18日)ないし6月7日(7月20日)でした。それぞれ現代の平年より10日、5~7日ほど遅くなっています。
 また「青蝉」がミンミンゼミだとすれば、天保7年のその鳴き始めは7月26日(1836年9月6日)で、現代のそれより一か月以上も遅くなっていました。また、両年や天保6年(1835)では、一度セミの鳴き声を聞いた後でも、天保4年、6年、7年は鳴き声が少なかったり、聞こえなくなったようです。
 一方、天保5年の麦刈り蝉の初鳴きは、今年2020年と同じぐらいの時期ということですが、この年は低温が続いた天保時代の仙台では、作柄が比較的良好だったと考えられる年でした。
 江戸時代は現代よりも冷涼な気象だったとされる一方、近年は温暖化が進んでいます。とすると、大冷害の年であってもそこまで極端に遅くなっていない、ということなのでしょうか。この点を検討することは、当時の仙台城下町の自然環境を復元する一つの手がかりになるのかもしれません。

万右衛門、セミの声に感じ入る
 天保4年の青蝉の鳴き始めについて、万右衛門は「冷気のせいか「かなしく」聞こえる」と記します。「しみじみと」ということか、あるいは冷気ではすぐに死んでしまうので「悲しげ」だと思ったのか、どちらなのでしょうか。
 このことも含めて、セミの声は仙台城下町の人々の生活に様々な影響を与えていました。別所万右衛門の記録に見られるセミと人々との関わりを、もう少し述べていきたいと思います。(続)

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